裏金の問題

年の瀬、大晦日に「裏金」について考えてみたいと思います。

 

<裏金とは>

裏金は、正規のルートで支出される資金ではない金のことを意味します。

おもてだって使うお金は、その調達から使途に至るまで、帳簿に漏れなく記載し、適切な承認過程を経ることが求められます。

それは公の機関だろうと一般企業だろうと同じことです。

不正な支出を防止するためにもお金の動きは十分にチェックする必要があるからです。

しかし、時として組織や個人は自分の自由裁量の幅を持ちたがります。

裏金はそうした正規のルートから離れた、自由裁量の効く金なのです。

<裏金づくり>

裏金の作り方には様々な方法が考えられます。

典型的な方法としては、「経費の水増し請求」が考えられます。

実際には支出すべき金額以上の金額を支払ったことにして、差額を裏金とするのです。

また、取引の仮装によって裏金を作る場合もあります。

実際には存在しない取引先に経費を支払ったように見せかけ、そのお金を裏金にする方法です。

さらにいったん業者に支払って、その一部を割引や返品等を理由として返金して貰い、返金を別の裏金用の口座に振り込んで貰う方法もあります。

こうして蓄えた裏金は、その当事者によって自由に使用されますが、個人的に飛翔されるケースは希で、以下のように複数人又は組織だって裏金が管理されているケースが多いようです。

・実際には出張などしていないのに出張しているかのように装って経費処理したお金を裏金にする。

・実際には少額の経費で済んでいるのに実際よりも多額の経費を支払っているかのように装って裏金を作る。

こうして作った裏金を以下で示すように組織のために利用しようと考えるのです。

<裏金の使い道>

裏金は、毎年恒例の忘年会、新年会、慶弔禍福や昇進祝い、時には正規のルートでは絞られている残業代の支払いに充当される場合もあります。

組織だった裏金事件の場合、その裏金の使い方には一定のルールがあるようです。

組織のためのお金なので、皆が牽制しあって、特定の人のみが恩恵を受けるような仕組みにはしていません。

そのため、警察や会社などで裏金が発覚したとしても、当事者にはあまり罪の意識がない場合が多いようです。

「みんなやってるよ。」「これは必要悪だ」とまで言い切る人もいます。

「別に特定の個人が私腹を肥やしているわけじゃないからいいじゃないか。」

確かにルール違反ではありますが、お金は組織のために使っているのだから、特に大きな問題ではない。

そうした良識を欠如した人達の理屈が、さも当たり前のように扱われているのかも知れません。

<「裏金」は何故悪いのか。>

裏金を必要悪と考える愚かな人達には、理解できないかも知れませんが、裏金は「隠す」という行為自体に大きな問題があります。

裏金づくりは、正規のルートから切り離して、自分たちの自由になるお金を作ろう、とする悪意に満ちた行為です。

特に公の機関で裏金工作が比較的盛んに行われている(またはそのように報道されている)のは、公の機関が予算消化型の組織であることと関連しています。

公の機関では予算を消化しなければ、来年の予算は減額されるのが常です。そのためいったん決められた予算は全て消化することが重要です。

しかしながら、お金のない人にとってはうらやましい限りの話ですが、決められたお金を使い切ることも結構難しいのです。

「予算を消化するにはどうしたらよいか?」

そのための手段が「水増し請求」であり「経費の仮装」なのです。

実際には経費は発生していないのだけれども発生したことにしてお金を出してしまう。一方、そのお金は裏金としてプールしておく。

組織としては予算を消化できますし、また一方で、裏金という自由裁量の効く資金つまり、何かあったときの蓄えを得ることもできます。

組織としては、正に一石二鳥です。

こうした公金を負担している人(納税者)からすれば、本来必要のない資金が特定の組織のためだけに支出されるばかりでなく、本来削減されるべき不要な予算までもが認められることになるわけですから、たまったものではありません。

こうした二重の無駄遣いを綿々と続けるのが「予算消化型組織」の考え方なのかも知れませんが。この理解に基づけば「裏金といったって組織のために使っている」という言い訳はできないはずです。

組織のためにやった行為が、組織の肥大化、税金の無駄遣いに拍車をかけているという事実に気が付くべきでしょう。